ヘッドライトに浮かぶ海は全てを飲み込もうとしているかのように、どこか虚ろで、今の僕の心のような静けさを保っている。
不思議と、悲しさとか寂しさと言った感情は浮かんでこない。
ただ、淡々と現実を受け止めているような、そんな風に落ち着いていた。
彼女はもう、いないのに。
ハンドルに体重をかけて凭れながら、ふと、ハザードをつけてヘッドライトを消してみた。
しん、と静まり返った海は、冬だと言うのにやけに穏やかで、彼女の不在をゆっくりと僕に確認させているようにも思えた。
ねえ、そんなにも寂しかったんだね。僕には言えない君の秘密を、いったいどれほどその小さな胸に抱えていたんだろう…
気付けなかったのは僕の身勝手な思い込みで、気付かせなかったのは君の最後の抵抗だった。
今はもう、確認すらすることはできないけど。
忙しさに追われて、こんな風に語ることもなかったね。
あれから10年以上も過ぎて、漸くここに来ることができたよ。
君が海に降ったあの日、こんな風に、波は穏やかだったかい?
駆けつけた時にはもう、冷たくなっていた君。その穏やかな夜空のように、秘密をたくさん抱えた僕の好きな瞳を冷たい瞼の裏に隠して、何となく満足したように見えたのは、僕の身勝手な現実逃避だったのかもしれない。
君はどう思うかい?
10年以上も時が過ぎて、僕ももう立派なおじさんになってしまったよ。
今なら君を手放したりしないのに。力いっぱい抱きしめて、たくさん愛を交わし、溶け合うようにキスをする、そんな風に君を愛したかった。
愛せばよかった。
やがて意図したように雪が降りだし、暗い闇のような海に落ちて行く。
罪のように降り積もる無垢な白い氷さえも、海は矛盾なく受け入れ、そしてその罪を溶かして行くようだ。
この罪は永遠に消えないのかもしれないと言うのに。
今夜は君の記憶を思い出にかえるために来たんだよ。
さようなら、君。
忘れるわけではないよ、ずっと想うために、ここで決別するんだ。
どんなに綺麗な言葉を並べてみても君への弔いにはならないから、敢えて僕は、ここで過去の君と決別する。
さようなら、愛したひと。
ハザードに浮かんでは消える海は、おぼろげな過去の幸福のように、ただ無言で虚空の星空を見つめている。
瞑想するように閉じていた双眸を開いて、ハザードを消し、ヘッドライトをつける。
ふいに襲ってくる焦燥感を、いっそキッパリと断ち切るようにギアを入れて、ここから僕も旅立とう。
明日はきっと晴れるだろう。
君の思い出と歩き出す、新しい夜明けだ。